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西川創業450年の歴史

西川の足跡

  1. 天文18年 (1549)
    初代仁右衛門、近江国蒲生郡南津田村に生まれる

  2. 永禄9 (1566)
    初代19歳で蚊帳・生活用品販売業を開業
    〈西川創業の年〉

    西川の歴史秘話

    かつて蚊帳は貴族が
    用いた貴重品。
    一般では右のような
    蚊帳が用いられた

  3. 天正15 (1587)
    近江国八幡町に本店・山形屋、屋号を開設する

    山形屋の瓦

1500年

日本と世界の歴史

  1. 1517
    独、ルターの宗教改革

  2. 1543
    種子島に鉄砲伝来

  3. 1582
    本能寺の変

  4. 1585
    豊臣秀吉、関白にその甥、秀次が近江八幡に築城

  1. 慶長8 (1603)
    このころ畳表の販売も始める

  2. 元和元 (1615)
    江戸日本橋通り1丁目に支店、つまみだな店(つまみだな)開設

    江戸時代の面影を
    留める明治初期頃の
    日本橋つまみだな
    つまみだな

  3. 寛永 (1624〜43)
    寛永年間、2代目甚五郎が蚊帳の生地を萌黄色に染め、
     紅布の縁を付けたデザインの「八幡蚊帳」を販売し、
     人気を博した

    西川の歴史秘話

    二代目甚五郎が
    考案した萌黄の蚊帳

  4. 寛文7 (1667)
    当年からのつまみだな店勘定目録(天明8年書写)あり
     現存する日本最古の勘定帳といわれる

    西川の歴史秘話

    寛文7年の
    「日本最古の勘定帳」

  5. 元禄 (1688〜1703)
    元禄前期下総に店支店を開設
    元禄後期江戸日本橋通り1丁目に松店開設

1600年

  1. 1603
    徳川家康、江戸幕府を開く

  2. 1615
    大坂夏の陣、豊臣氏滅ぶ

  3. 1635
    参勤交代制確立

  4. 1639
    鎖国令

  5. 1644
    清が中国を統一

  6. 1687
    生類憐れみの令

  1. 宝永3 (1706)
    江戸町奉行より、蚊帳問屋に指定される

  2. 元文3 (1738)
    つまみだな店、木屋久右衛門の弓営業と近江屋八兵衛の弓問屋株を買収し、弓問屋も併せて営業する

  3. 寛保元 (1741)
    江戸京橋に万店(元・角万西川)を開設する

  4. 寛延3 (1750)
    京都に京店(現・京都西川)を開設する

  5. 宝暦9 (1759)
    京店を京極通り蓮池町に移転

  6. 明和8 (1771)
    万店を日本橋通4丁目に移転

  7. 安永元 (1772)
    目黒行人坂火事によりつまみだな店、万店、類焼

  8. 天明 (1781〜88)
    天明年間、7代目、寛文7年から120年間保存されていたつまみだな店、万店、京店の
     3店の勘定帳を整備し総目録を作る

  9. 寛政元 (1789)
    三ツ割銀制度始まる

    西川の歴史秘話

    三ツ割銀預り帳

  10. 寛政11 (1799)
    別家衆と相談し、「定法書」を作る

    西川の歴史秘話

    定法書

1700年

  1. 1716
    享保の改革始まる

  2. 1765
    英、ワットが蒸気機関を改良
    英、産業革命始まる

  3. 1775〜1783
    米、独立戦争

  4. 1787
    寛政の改革始まる

  5. 1789
    フランス革命、人権宣言発表
    米、ワシントンが初代
    大統領に就任

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永禄9(1566)西川のはじまり~最初はふとんを販売していなかった!?~

初代西川仁右衛門は永禄九年(1566)、十九歳のときに商売を始め、天正十五年(1587)、近江八幡町に店を構え、蚊帳や畳表の販売を始めました。近江八幡山に封ぜられた豊臣秀次により、 「楽市楽座令」が敷かれ、商いが自由になった時代です。そして、徳川家康が幕府を開いたことから、人が集まり、町づくりに涌き、一大消費地となりつつあった江戸・日本橋に、 蚊帳と畳表を専門に扱う支店をつまみだな店(つまみだな)として出店しました。 豊臣氏が「大阪夏の陣」で滅び、名実ともに徳川の世となったことから、初代西川仁右衛門は卓越した先見性があったといわれています。

かつて蚊帳は貴族が用いた貴重品。一般では上のような蚊帳が用いられた

寛永(1624~43)販売戦略~蚊帳が大ヒットした秘密~

二代目甚五郎が考案した萌黄の蚊帳/蚊帳売りの図(江戸・文政年間)

今日も残る緑と赤の色彩の萌黄色の蚊帳を考案した二代目甚五郎は大変なアイディアマンで西川家繁栄の基礎を築きました。
二代目甚五郎はこのころから現代でいうマーケティングを行っていました。江戸の町を歩き町の人の声を聞くことで「蚊を防ぐ蚊帳」ではなく「涼しい蚊帳」を人々は求めていることに気付きました。容姿と声の美しい男性に販売させることで萌黄色の蚊帳は一躍、江戸の人気商品になりました。

浮世絵に描かれた萌黄の蚊帳(喜多川歌麿画「婦人泊まり客之図」

寛文7(1667)現存する最古の勘定帳~今にも通ずる経営基本~

西川家には寛文7年(1667)の日本最古の勘定帳が保存されています。
これは西川家が江戸時代初期から早くも近代的な「計数管理」に基づく経営を行い、在庫管理や利益管理の概念のもとに運営されていたことが書かれています。
またこの資料は西川家だけでなく江戸時代の商業史、経済史における貴重な資料となっています。

寛文7年の「日本最古の勘定帳」

寛政元(1789)三ツ割銀制度の開始~当時の人々もボーナスをもらっていた~

現代のボーナスにあたる「三ツ割銀制度」を設けました。それまでの利益配分方式を改め、年二回の決算を終えると純益の三分の一を従業員に分配したのです。 この制度によって、従業員の勤労意欲が高まり、売上向上に貢献しました。

三ツ割銀預り帳

寛政11(1799)積立金制度の改革~火災や大震災に備えて積み立てを~

定法書

七代目利助は、緊縮財政で知られる「寛政の改革」の時代に経営基盤の安定を図りました。経営革新のひとつには「積立金制度の改革」があります。 元禄時代は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど大火が多く、西川の江戸店も火災と大震災で幾度となく消失の憂き目をみました。 こうした状況のもと、不慮の事故・災害などに備えて復旧費用を積み立てる必要性を痛感し、純益のなかから、 「普請金」「仏事金」「用意金」の三名目の積立を行いました。これらの積立金を資金として運用し、確実な担保を保証に貸し付けを行い、元利が一定額を越えると土地・家屋を買い増して蓄財に充てたのです。